幸せな結末

とても良い音楽を聴いて、なんて良い曲なんだと、聴きながらすごくドキドキして、幸せな気分のままうとうと寝てしまった。曲が終わったまま、しんとした空気に気付いて目が覚めて、強い孤独感に襲われながらも妙に落ち着いた、不思議な気持ちになった。このまま誰にも気付かれず静かに死んでしまいたいと思った。本当にそう思ったし、あまりにも自然にそう思ったことに自分で驚いた。ふと、数年前自殺した友人のことを思い出す。彼は最後の夜、どんな気持ちで幕を下ろしたのだろう。何か絶望を抱えこんでいたのだろうか。もしかしたら、あらゆる事が吹っ切れて、幸せな気分で、このまま終わりたいと思っていたのかも知れないよな。まあ、しばらく疎遠な状態での別れだったから、最期まで彼の近くにいた人には、勝手な想像をするな、勝手に自分の気分と重ねてんじゃねーよと怒られるかも知れない
から程々にしないといけない。


……書きながら本当に勝手な妄想をしてしまったと反省している。俺が死にたいと思ったのは、幸せな時間と、幸せな気分と、そうじゃない日常のギャップに、眠りから覚めてふと妙に冷静になった瞬間に、逃げ出したくなっただけなんだろうな。
でももう本当に、もういいよな、とはつくづく思う毎日である。くだらない事ばかりでうんざりするし、それが自分に降りかかって、こなくそ!と悔しい気持ちが逆に自分を生かすバネになったりもして、忙しい奴だよなぁ。多分仕事と職場が自分に合ってない、単純にそれだけがヘラってしまう原因だと思うので、早く抜け出さないと。

罪を憎んで人を憎まず

人間せいぜい30年も生きてればとっくに全員どこかがバグってるに決まってる。経験を重ねることで修正可能ではあるんだけど、それは人格を形成する要素の書き換えではなく、書き足すことで打ち消していくような修正でしかなくて、そうやって煩雑に追加更新データが増え続けていくのだから、情報量の膨大な内部のどこかで誤動作が起こるのは想像に容易い。

そしてフレームとそぐわない、いわば罪となるエラーが起こるバグとそうでないバグがあって、しかもそもそものフレームワークにすら多くの矛盾を孕んでいる。

運悪くヤバイ方のバグが生まれ育ち、罪を犯してしまい、それを糾弾されるとき、今更 根本的にどこで間違ったのかを説明しろというのは、残酷だなと思う。それが最も重要であることは確かなんだけど、本人にとっては大事なのはこれからどう償うかで、なぜ不幸が生まれたかは皆で考えるべきことだ。