20170531

異性・同性・恋愛感情の有る無しに関わらず、好きになった人が死んでしまって自分が取り残されるというのはどんな気持ちだろうか。

 

例えば恋人と別れてもう会うことのないであろう状況と、亡くなって会えなくなることと、それって同じ事なんじゃないかという考えがここ数年の俺の中にあったんだけど、やっぱりそれは全然違うと、当たり前の事にふと立ち返ってしまった。生きていればどうにか会うことは出来る。

 

好きな人とほぼ毎日会うような環境にいて、それが急にスッポリと抜けて消滅してしまったら、人はどう折り合いをつけるのだろう。これ以上に手の打ちようの無いことがあるだろうか。解決を時間に任せるしかない喪失感や寂しさを背負うのは人には重すぎると思うのだけど、実際にそうなった人が沢山居る筈で、俺はそんな身の上に置かれたことが無くて、そういった人たちがどう折り合いをつけているのか、一ミリも想像が出来ない。

 

別にそういったことが今自分に起こったわけでもないし、気持ちが沈んでいるわけでも何でもないし、更に言えば特別好きな人や恋人が居るわけでもないんだけど、もしそうなったらすごく怖いなとふと思ってしまって、単純に興味が出てきて、突然そんなことを考えてしまった自分が面白くて、書き留めてみただけ。おやすみなさい。

 

20170403

忙しさにかまけていたらいつの間にか四月になってしまった。忙しいと言っても仕事中が忙しいというだけだから日記をサボる理由にはなっていない。でも別に日記を自分に課しているわけではないし「サボってる」わけでもない。こんなものはやりたいときにやるが良いのだ。好きでやっているんだから。

 

昨日は休みだったから白山神社へ行った。この頃は理由もなく家に篭りがちで、否、理由がないという理由で家に居ただけの話なんだけど、それもあまり精神衛生的に良くないなと思い、正月に初詣に行っていなかったからという理由を作った。最寄り駅まで歩き電車に乗り新潟駅で降り、また歩いて真っ直ぐ神社まで。バスに乗るとか白山駅で降りるとか他に手段を選べば歩数は減ったんだろうけど、天気も良いし出来るだけ陽に充たっていたくて新潟駅で降りることにした。

 

神社につくとそこそこ人が居た。桜が咲いていたからそれに誘われて皆集まったのだろう。少し肌寒い中で、ぽっぽ焼きの屋台が一軒だけあって、押し付けがましさの無い良い塩梅な咲き方をしていた。(梅とか桜とか紛らわしいね。)花見のピーク時期の人混みの中の桜はあまり好きじゃない。

 

神社に行くのは少し好きなんだけど作法に疎くて、前でお参りをしていた人を真似て二礼二拍一礼で挨拶をした。神様を目の前にして作法だとかマナーだとかって、守ったから恩恵があって守らなかったら恩恵がないみたいな、人の欲が見えるようで、みみっちい気がして、なんだか不自然な気がするからあまり気にしないようにしているんだけど、まあ恥ずかしくないようにと思ってすこし気にかけた。

 

御神籤を引いたら大吉だった。そうなんだ〜って思った。

 

歩き疲れたのでその後は池の前で少し休憩をした。多分鯉だと思うけど鯉みたいな魚が泳いでて尾ひれ的なやつが水面からはみ出していて、要するに視力が悪くてよく見えてなかったんだけど、やっぱ鯉って気持ち悪いなって思った。神様だったら申し訳ないけどいつみても気持ち悪い。

 

帰りに古町を通って、ずっと徒歩なわけだしフーデリックでビールでも貰おうかなと思ったけどよく考えるとそんな気分でもなかったからよしておいた。

近くにヒッコリーなんちゃらみたいな店を見つけて、名前は耳にしてたけど入ったことがなくて、人が出入りしていて入りやすかったので入ったらかわい〜い雑貨があって、雰囲気が良かったけどあんまりピンとこなかったのと、BGMがピチカート・ファイブかあるいはそれによく似たやつだったのでちょっと狙いすぎでうぜえなと思って、一周してすぐ出た。

今度手紙を書く用事があるのでシンプルな便箋が欲しくて、文武堂に寄ったらどうやら隔週日曜の休みと重なったらしくシャッターが降りていて、ついてないなあと思った。

 

というわけで何か買い物をするでもなく用事を足すでもなく誰に合うでもなく本当に神社に行って帰ってきただけの日曜日だった。

 

 偽物の革靴を履いて歩きまわったせいか、今日は脛のあたりが筋肉痛だった。変な歩き方してたんだと思う。やっぱりニューバランスは偉大だ。

 

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