20171115

組織は腐る。腐ったものは元に戻せないかも知れない。

 

もしそれが蜜柑であれば、もう元には戻らない。

それどころか他の蜜柑をも腐らせる一方だ。

 

あるいは水だとすれば新しい水を混ぜる事で薄める事は出来るかも知れない。ただ、伝染して広がる懸念もあるし、ここでいうオリジナルというかプロパーである腐った水は澱を含み底に沈殿し、溢れて外に出て行く可能性が少ない。外からの手で掬うでもしない限りそこに居座り続ける。

何故か。組織において個として真っ先に腐るのは地位や権力を与えられた人間だからだ。(これが地位や権力を「(自力で)得た」人間であったならば、また話は変わってくるかも知れない。)「魚は頭から腐る」という諺があるくらいだ。

 

私は驕る人間が嫌いだ。周囲の人間の心の動きが自分なりにさえ見えなくなってしまうなんて人として終わりかけている。そういった人間はお山の大将ならまだマシで、井の中のトノサマガエルと化していて、自分やもしくは組織が破滅するまで誰からもその態度を注意をされず我が侭を振る舞う。救い様が無いわけでもないが、救う為のコストに対してリターンがあまりにも無さ過ぎて誰も手を出そうとしない。そうともなれば事実上「終わってる」のだ。

 

組織なんてものはいくらカッコつけたって人の集まりでしかない。活動の場が閉鎖的であればあるほど、常に小さな事にも気を張っていなければ時とともに簡単に腐る。抗うのは簡単ではない。

とても残念だが腐ってしまったり歪んでしまった組織は一度ぶっ壊したり崩れたりしない限り清浄化されることは無い。俺だって、仕方が無いのひと言で諦めるのは良くないと思うが、組織はロボットでもコンピュータでも無い、生モノの集まった塊でしかないのだから、腐るのはやはり仕方が無いことだと思う。少なくとも年月の経った腐った組織に後からポンと入った人間がどうこう出来る問題ではない。

 

俺に出来る事があるとすれば、もしこの先まだ腐っていない健全な組織に参加した際には、今のこの気持ちを忘れずに、そこにいつか必ず生まれるであろう僅かな綻びを見逃さずに繕っていきたい。加速を始めた腐敗はそれに気付いた少数人の自浄作用では追いつかないことが殆どだろうから。

 

会社などの組織というのは自分を含めた多くの人にとっての居場所のひとつだ。人は居場所を必要とする。何者かでいないと生きられない私たちに役割を与えてくれる。そんな大切なものを不用意に壊してしまうなんて、もし神様がいたとしたら罪になり得る。

 

だって悲しい事って嫌じゃないか。みんなで幸せになろうよ

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なんちゃって。

 

 

(ひと月前に社内の人に共感を得られたことで溜まっていたものを吐き出すかたちでこれを書いて下書きに眠らせておいたんだけど、いま読み返してみて、痛いところはあってもおかしなことは言っていないと思ったので公開しました。) 

20170531

異性・同性・恋愛感情の有る無しに関わらず、好きになった人が死んでしまって自分が取り残されるというのはどんな気持ちだろうか。

 

例えば恋人と別れてもう会うことのないであろう状況と、亡くなって会えなくなることと、それって同じ事なんじゃないかという考えがここ数年の俺の中にあったんだけど、やっぱりそれは全然違うと、当たり前の事にふと立ち返ってしまった。生きていればどうにか会うことは出来る。

 

好きな人とほぼ毎日会うような環境にいて、それが急にスッポリと抜けて消滅してしまったら、人はどう折り合いをつけるのだろう。これ以上に手の打ちようの無いことがあるだろうか。解決を時間に任せるしかない喪失感や寂しさを背負うのは人には重すぎると思うのだけど、実際にそうなった人が沢山居る筈で、俺はそんな身の上に置かれたことが無くて、そういった人たちがどう折り合いをつけているのか、一ミリも想像が出来ない。

 

別にそういったことが今自分に起こったわけでもないし、気持ちが沈んでいるわけでも何でもないし、更に言えば特別好きな人や恋人が居るわけでもないんだけど、もしそうなったらすごく怖いなとふと思ってしまって、単純に興味が出てきて、突然そんなことを考えてしまった自分が面白くて、書き留めてみただけ。おやすみなさい。